2007年6月20日 (水)

好きなもの

 認知症介護という危機に直面して、やむを得ず母の日常生活を見直してみると、今までそれこそ日常生活に埋もれて気付かなかったことが、少し見えてくる。その中で、母が好きだったこと、大事にしていたことを、認知症だからできなくても仕様がないと放置しないで、少しは大事にしていこう、せめて心がけだけでもそうしようという気持ちになってきた。そう思えたのは、母が少し落ち着いてきたからかもしれない。
 狭い庭がそれなりにきちんとしていたのは母が毎日少しずつ手入れをしていたからだ。それがある時期から荒れ放題になり、放置された。少しずつでももとに戻してみよう、という気分になってきた。
 最近母とやったこと、園芸店に行った、花を買った、土や肥料を買った。他に母と一緒に、あるいは母のためにやったことは、毛糸を買った、編み物をした、ノートに色鉛筆で線を書いた、色を塗った。母は洋服のコーディネートが好きだったから。雰囲気としては悪くない。

2007年5月30日 (水)

使い方次第で

 母はパズル類が好きだ。だからおもしろがって一人でそろばんや音読・計算ドリルに励んでいる。そのこと全体を見ると、検証はできないけれど、それはきっと母の認知症に対するブレーキ役としてどこかで(読力や計算力向上ということではなくて)プラスに働いているだろうと感じる。だけどデイで皆一斉にドリルをやるのは好きではない。いやな感じと文句を言っている。
 朝日新聞に 認知症に関して「老いを受け入れる社会に」―予防重視の限界、若さの強迫観念―という記事があって(5/27村瀬孝生)、脳内活性化ドリル「流行」に代表される認知症予防「大合唱」に疑問を呈している。枠組みとしてはその通りと思う。その上で、その枠組みの中で、人によっては学習療法(みたいなもの)、脳内活性リハビリ(みたいなもの)が意味を持ってくることもあるし、場合によっては同じ(ような)ものがマイナスに働くこともある、というところだろうか。

2007年4月 9日 (月)

在宅原理(至上)主義

 ブリコラージュ4月号「老いのミカタ」(矢嶋嶺)より。「世間は在宅介護がいいと簡単に言うがこれは大変なことだ」ー本当に、本当にその通り。「勝手知ったる仲の一方がぼけるということは、夫婦であれ、親子であれ、遠慮というものがないだけに悲惨だ。過去を共有していることがかえって、介護の妨げになるのだ」ー母の場合、共有した過去の中から、何かにつけて父(夫)との悪い思い出ばかりが噴出する。一緒に暮らしメインに介護しているのは父だから、「・・・両者の間に緩衝地帯でもなければ、行きつくところ心中事件にもなりかねない・・・」。
 「最近の世論では、家で死にたくないという老親が徐々に増えているという。私だって、内心、在宅で死にたくはない。かなり前からそう思っている。在宅原理(至上)主義は、じつは、かなり前に捨てた。地域ケアなどという偽善も聞き飽きた。丸ごと子どもに面倒をみさせる勇気が、私にはない」ー在宅介護や地域ケアということばの危うさには確かに要注意。丸ごと子どもに面倒をみさせる勇気も、「親」としての私にはない。でも、認知症の親を抱えた子どもとしての私には、母を「在宅」から動かす勇気(?)もない。その道なき道のところを考えたいのだけれど・・・。

2007年2月22日 (木)

介護ー老いを知る

 「『老後の自立』なんてうそですよ。老後は自立できないことをいかに受け入れるか、衰え方の作法と技法と思想が必要」(上野千鶴子・朝日新聞07.2.20)。介護予防が強調され、たぶんそれなりの効果もあげているだろうが、老いるということは、やはり、死に向かって衰えていくことだと私も思う。(途中)

2007年2月17日 (土)

葛藤型

 母が父を責めるときの言い分の代表格は、「ただいまと言っても返事をしてくれない」だ。それに始まってあれこれ「無視された、ひどい人だ」となる。それに対して父は、事実と違うことを言われ、必死で自己防衛する。「そんなひどいことはしない、それどころか、あなたのためにあれもした、これもした」と。ところが母にとっては父の言う「あなたのために」は「あなたのせいで・・しなければならない」と感じられるようだ。どちらの気持ちも互いに受け止められず宙に浮き、二人は感情的になり収拾がつかなくなる。
 なんでそんなにガチガチに「自分」を守らねばならないのか、もっと柔らかく感じられたら楽なのに、と思う。でも自分を振り返っても簡単にそうはいかないのはよくわかる。人にとって、「自分を認めてほしい」気持ち、自分確認の気持ちは、本当に手強い。
 三好春樹が「認知症の生活の場の3分類」と呼ぶものがある。竹内孝仁の「介護基礎学」(医歯薬出版)にある「葛藤(かっとう)型」「回帰型」「遊離型」のことだ。どうやら、私の親の場合は被介護者も介護者も葛藤型のようだ。認知症現代型か・・・。

 「・・・かつての若かった自分を取り戻そうとして頑張るのだがうまくいかず、どうしていいかわからなくて混乱しているのが葛藤型だ。周りの人に暴言を吐くこともあるが、何より現実の自分にいら立っているのだ。
 自分を取り戻す代わりに、心の中で過去に帰って自分を確認しようとするのが回帰型だ。徘徊(はいかい)や人物誤認、いま、ここがわからなくなるという、認知症でよく語られる状態が表れるのがこのタイプだ。
 一方、現実に耐えきれず、自分だけの世界に閉じこもることで自分を守ろうとする人もいる。遊離型だ。自分からは何もしなくなり、会話も難しくなってそのうち独り言を言い始める。
 この3分類を初めて知ったとき、竹内氏は私が勤めていた施設を観察していたに違いない、と思った。それほど老人の実態を表しているのだ。私たちはこれを「認知症の生活の場の3分類」と呼ぶことにした。(三好春樹=「生活とリハビリ研究所」代表)(2007年2月13日 読売新聞)」

2006年12月31日 (日)

 病気で思うように仕事ができないAさん、病気を受け入れられないBさん、家族の介護が大変なCさん(私のことだ)、病気や障害をてこに今までとは違う世界を描こう、宝に変えよう、まだよく見えていないけれど道はありそうな気がする。そう思わないといけない。と思うけど、すぐ忘れる。

2006年12月28日 (木)

 「生きている意味がない、気持ちがわかってもらえない、伝わらない、孤独なのよ、あきらめるしかないの?」・・・落ち込んでいるとき(ほとんどのとき)の母の会話の着地点だ。
 これは母だけでなく心の奥底をのぞけば誰もがもっている気持ちだろう。でも日常的ではいちいちそんなことで立ち止まらない。立ち止まっていたら生活していけないから、見ないで、ごまかして、がまんして、あきらめて生活している。あるいは「受け入れて」。

2006年12月16日 (土)

 夏以降の不慣れな仕事が一段落、再び少しはここへ。
  「刺激に弱い。自分の困ったことへ直接向かわないで(攻撃が)それる」とは母のことばだ。母一人で言ったのではなく、私との会話の中から出てきたことばだけど。攻撃はまず父に向かい、このごろは私にも向かう。時に「謎の物体」に母が乗っとられ、周りはその渦に巻き込まれ消耗してしまう。立ち向かう相手間違えているぞと感じつつもついつい足を取られていく。

2006年11月22日 (水)

謎の物体AtoZ

 認知症の在宅ケアに関わる人たちの集まりに行った。家族、介護職、医者、看護師、弁護士等々。それぞれの話を聞いて改めて思う、認知症というのは、AからはAに見え、BからはBに見え、CからはCに見え、総合的に全体を見渡して語るのはとてもむずかしい(不可能な)ものなんだなあと。だから議論の第一歩は、お互いにそのことを了解し合うことなんだろう。

2006年8月20日 (日)

変化

 自分では到底知り得ないほど周りと関係しあって関係しあって、人の「自分」はできあがっているというイメージを寄せ集めようとしたら、結構あとからあとから湧いて出てきて、簡単に終わらないので、それはここで一旦打ち切りに。母の様子がこのところ大きく変わっているので、それをともかくメモしておこう。
 母は5月にふらつきが激しくなってついに立ち上がれないほどになり、抗うつ薬服用をやめた。やめたらふらつきは治ったが、その頃精神的に不安定に。父への暴力暴言、被害妄想が激しくなる。デイも休みがち。周りも精神的にまいって、私は二人を(強制的に)離すしかないのかなあと思った。
 5月の終わり、別の医者に相談、イライラを緩和するという漢方薬を出してもらう。
 7月に入って、暴力暴言、被害妄想はあるものの、様子が少し違ってきた。デイに積極的になり、少し掃除洗濯をするようになる。
8月に入って、台所の片付けにこだわり(流しは何度も磨くのでピカピカ)、洗濯をし、デイの入浴の用意をしようとしたり、「脳ドリル」等をおもしろがってするようになり、眠る時間が少なくなる。 父と母の大衝突も減る。
「そう」状態なのか、何なのか?

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