2007年5月30日 (水)

使い方次第で

 母はパズル類が好きだ。だからおもしろがって一人でそろばんや音読・計算ドリルに励んでいる。そのこと全体を見ると、検証はできないけれど、それはきっと母の認知症に対するブレーキ役としてどこかで(読力や計算力向上ということではなくて)プラスに働いているだろうと感じる。だけどデイで皆一斉にドリルをやるのは好きではない。いやな感じと文句を言っている。
 朝日新聞に 認知症に関して「老いを受け入れる社会に」―予防重視の限界、若さの強迫観念―という記事があって(5/27村瀬孝生)、脳内活性化ドリル「流行」に代表される認知症予防「大合唱」に疑問を呈している。枠組みとしてはその通りと思う。その上で、その枠組みの中で、人によっては学習療法(みたいなもの)、脳内活性リハビリ(みたいなもの)が意味を持ってくることもあるし、場合によっては同じ(ような)ものがマイナスに働くこともある、というところだろうか。

2007年4月 9日 (月)

在宅原理(至上)主義

 ブリコラージュ4月号「老いのミカタ」(矢嶋嶺)より。「世間は在宅介護がいいと簡単に言うがこれは大変なことだ」ー本当に、本当にその通り。「勝手知ったる仲の一方がぼけるということは、夫婦であれ、親子であれ、遠慮というものがないだけに悲惨だ。過去を共有していることがかえって、介護の妨げになるのだ」ー母の場合、共有した過去の中から、何かにつけて父(夫)との悪い思い出ばかりが噴出する。一緒に暮らしメインに介護しているのは父だから、「・・・両者の間に緩衝地帯でもなければ、行きつくところ心中事件にもなりかねない・・・」。
 「最近の世論では、家で死にたくないという老親が徐々に増えているという。私だって、内心、在宅で死にたくはない。かなり前からそう思っている。在宅原理(至上)主義は、じつは、かなり前に捨てた。地域ケアなどという偽善も聞き飽きた。丸ごと子どもに面倒をみさせる勇気が、私にはない」ー在宅介護や地域ケアということばの危うさには確かに要注意。丸ごと子どもに面倒をみさせる勇気も、「親」としての私にはない。でも、認知症の親を抱えた子どもとしての私には、母を「在宅」から動かす勇気(?)もない。その道なき道のところを考えたいのだけれど・・・。

2007年2月22日 (木)

介護ー老いを知る

 「『老後の自立』なんてうそですよ。老後は自立できないことをいかに受け入れるか、衰え方の作法と技法と思想が必要」(上野千鶴子・朝日新聞07.2.20)。介護予防が強調され、たぶんそれなりの効果もあげているだろうが、老いるということは、やはり、死に向かって衰えていくことだと私も思う。(途中)

2007年2月17日 (土)

葛藤型

 母が父を責めるときの言い分の代表格は、「ただいまと言っても返事をしてくれない」だ。それに始まってあれこれ「無視された、ひどい人だ」となる。それに対して父は、事実と違うことを言われ、必死で自己防衛する。「そんなひどいことはしない、それどころか、あなたのためにあれもした、これもした」と。ところが母にとっては父の言う「あなたのために」は「あなたのせいで・・しなければならない」と感じられるようだ。どちらの気持ちも互いに受け止められず宙に浮き、二人は感情的になり収拾がつかなくなる。
 なんでそんなにガチガチに「自分」を守らねばならないのか、もっと柔らかく感じられたら楽なのに、と思う。でも自分を振り返っても簡単にそうはいかないのはよくわかる。人にとって、「自分を認めてほしい」気持ち、自分確認の気持ちは、本当に手強い。
 三好春樹が「認知症の生活の場の3分類」と呼ぶものがある。竹内孝仁の「介護基礎学」(医歯薬出版)にある「葛藤(かっとう)型」「回帰型」「遊離型」のことだ。どうやら、私の親の場合は被介護者も介護者も葛藤型のようだ。認知症現代型か・・・。

 「・・・かつての若かった自分を取り戻そうとして頑張るのだがうまくいかず、どうしていいかわからなくて混乱しているのが葛藤型だ。周りの人に暴言を吐くこともあるが、何より現実の自分にいら立っているのだ。
 自分を取り戻す代わりに、心の中で過去に帰って自分を確認しようとするのが回帰型だ。徘徊(はいかい)や人物誤認、いま、ここがわからなくなるという、認知症でよく語られる状態が表れるのがこのタイプだ。
 一方、現実に耐えきれず、自分だけの世界に閉じこもることで自分を守ろうとする人もいる。遊離型だ。自分からは何もしなくなり、会話も難しくなってそのうち独り言を言い始める。
 この3分類を初めて知ったとき、竹内氏は私が勤めていた施設を観察していたに違いない、と思った。それほど老人の実態を表しているのだ。私たちはこれを「認知症の生活の場の3分類」と呼ぶことにした。(三好春樹=「生活とリハビリ研究所」代表)(2007年2月13日 読売新聞)」

2006年12月31日 (日)

 病気で思うように仕事ができないAさん、病気を受け入れられないBさん、家族の介護が大変なCさん(私のことだ)、病気や障害をてこに今までとは違う世界を描こう、宝に変えよう、まだよく見えていないけれど道はありそうな気がする。そう思わないといけない。と思うけど、すぐ忘れる。

2006年12月28日 (木)

 「生きている意味がない、気持ちがわかってもらえない、伝わらない、孤独なのよ、あきらめるしかないの?」・・・落ち込んでいるとき(ほとんどのとき)の母の会話の着地点だ。
 これは母だけでなく心の奥底をのぞけば誰もがもっている気持ちだろう。でも日常的ではいちいちそんなことで立ち止まらない。立ち止まっていたら生活していけないから、見ないで、ごまかして、がまんして、あきらめて生活している。あるいは「受け入れて」。

2006年12月16日 (土)

 夏以降の不慣れな仕事が一段落、再び少しはここへ。
  「刺激に弱い。自分の困ったことへ直接向かわないで(攻撃が)それる」とは母のことばだ。母一人で言ったのではなく、私との会話の中から出てきたことばだけど。攻撃はまず父に向かい、このごろは私にも向かう。時に「謎の物体」に母が乗っとられ、周りはその渦に巻き込まれ消耗してしまう。立ち向かう相手間違えているぞと感じつつもついつい足を取られていく。

2006年11月22日 (水)

謎の物体AtoZ

 認知症の在宅ケアに関わる人たちの集まりに行った。家族、介護職、医者、看護師、弁護士等々。それぞれの話を聞いて改めて思う、認知症というのは、AからはAに見え、BからはBに見え、CからはCに見え、総合的に全体を見渡して語るのはとてもむずかしい(不可能な)ものなんだなあと。だから議論の第一歩は、お互いにそのことを了解し合うことなんだろう。

2006年8月20日 (日)

変化

 自分では到底知り得ないほど周りと関係しあって関係しあって、人の「自分」はできあがっているというイメージを寄せ集めようとしたら、結構あとからあとから湧いて出てきて、簡単に終わらないので、それはここで一旦打ち切りに。母の様子がこのところ大きく変わっているので、それをともかくメモしておこう。
 母は5月にふらつきが激しくなってついに立ち上がれないほどになり、抗うつ薬服用をやめた。やめたらふらつきは治ったが、その頃精神的に不安定に。父への暴力暴言、被害妄想が激しくなる。デイも休みがち。周りも精神的にまいって、私は二人を(強制的に)離すしかないのかなあと思った。
 5月の終わり、別の医者に相談、イライラを緩和するという漢方薬を出してもらう。
 7月に入って、暴力暴言、被害妄想はあるものの、様子が少し違ってきた。デイに積極的になり、少し掃除洗濯をするようになる。
8月に入って、台所の片付けにこだわり(流しは何度も磨くのでピカピカ)、洗濯をし、デイの入浴の用意をしようとしたり、「脳ドリル」等をおもしろがってするようになり、眠る時間が少なくなる。 父と母の大衝突も減る。
「そう」状態なのか、何なのか?

2006年8月17日 (木)

混ざりあっている、その4The End of Youth

 レベッカ・ブラウンの短編集『若かった日々(The End of Youth)』の中の「受け継いだもの」は、自分がいかに父と母に似ているかを並べ立てる文章で成り立っている短編だ。「私は彼と同じように・・・・彼女と同じに・・・二人どちらとも同じように・・・・彼と同じに・・・・彼女と同じに・・・・二人とも死んでもう何年も経つけれど、自分が両手をぱたんと下ろすしぐさとか、カウチに深々と身を沈める姿勢とか・・・自分がいかに二人に似ているかを思い知る」という具合。しぐさだけでなく、考えや感じ方から、いやなところも。
 これを読んだとき、まあ確かに子どもは親に似ているところはあるけれど、ここまで言わなくても、と思った。それから2年親の要介護状態を見続けたら、今はこの変な小説がとてもリアルに感じられる。

2006年8月16日 (水)

混ざりあっている、その3場の生成物

 保坂和志『世界を肯定する哲学』より、「人間とは〈場〉の生成した姿なのだと思う」、「私は、これまでの人生という時間が私の中に〈集積〉されているというよりもむしろ、それぞれの〈場〉に居合わせ、そこでそのつど〈保坂和志〉らしきものが結ばれてきた、という風に感じることの方が強い」。
 私は私、他の人とは違う、誰にも左右されない、私のことは私が決める、とずっと思ってきたのに、今や「場の生成物」説にもあっさり納得。場の生成物なら、同時にそこには何万、何億年の時の流れも流れ込んでいて、時の生成物とも言えそう。

2006年8月 4日 (金)

混ざりあっている、その2粒子

 「混ざりあっている・イメージ・コレクション」に加えるのにちょっと気がひけるけど・・・柳澤桂子『生きて死ぬ智慧(心訳・般若心経)』より。「お聞きなさい/私たちは 広大な宇宙のなかに/存在します/宇宙では/形という固定したものはありません/実体がないのです/宇宙は粒子に満ちています/粒子は自由に動き回って 形を変えて/おたがいの関係の/安定したところで静止します」。
 いっとき、安定したところが私であり、あなたであり、かな。
 そのあとがきより、「私たちは原子からできています.・・・私のいるところは少し原子の密度が高いかもしれません。あなたのいるところも高いでしょう。・・・一面の原子が飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところがあるだけです。/あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです」。
 その錯覚は、(柳澤桂子『いのちの日記』より)「ものごとを自己と非自己として、二元的に見る」ことによって生まれる。「私たちは自己と非自己のある錯覚の世界に生きている」。だけど、この錯覚を覆すのは容易ではない。「自分があり、対象物がある。爬虫類以上になると、生命の進化の過程で、自己と非自己を区別できることが、生殖や生き残り競争に有利であったために、このような能力をもつものが生き残ってきたのではなかろうか」、というわけだから。私たち現代人は自己と非自己の錯覚をめぐって格闘するのに人生の大半を費やす。

2006年7月29日 (土)

混ざりあっている、その1網の結び目

  小沢勲『痴呆を生きるということ』のあとがきより。「私は今、肺癌を病んでいる。・・・告知を受け、命の限りが近いことを知らされた。しかし、最初から大きな動揺もなく、まったく平静に事態を受けとめた。自分でも不思議だった。時々なぜだろう、と考えることがある。よくわからない。しかし、痴呆を病む人たちとともに生きてきたことと、どこかで深くつながっているように思う。彼らと生きていると,自分の生は個を超えていると感じる。そのせいだろうか。私自身も「わたし」へのこだわりが若い頃に比較して格段に少なくなっている。むしろ、つながりの結び目としての自分という感覚の方が強くなっている、といったらよいだろうか。・・・今、私はあるイメージを幻視している。それは複雑に絡み合ったほとんど無限のつながりの網がある。このつながりは複雑なだけでなく、生き物のようにうごめき、一瞬一瞬変化している、一人ひとりはそのむすぼれである」。

2006年7月28日 (金)

混ざりあっている

 援助の人間関係で、教科書のようなものには出てこないけれど、援助者が人間の在り方や人間関係をどんなふうにイメージしているかというのは、援助の仕方の根本(雰囲気、色合いみたいなもの)を大きく左右する、と思う。
 先回、私のイメージを「腐葉土の上に個がちょこっと顔を出している」と書いたが、これは人は見た目には別々だが、足元の下は繋がっているという感じを言いたかった。人はどこか(というより、ほとんど)混ざりあっている。若い時にはこんな感覚はなく、自他はしっかり分かれていた。それが、どんどん混ざりあって見える度合いが強くなった。子育てをし介護をし年を取ってこうなった。
 「こうなった」の「こう」を説明するのはむずかしいが、同じようなイメージ・・・と思うものにぶつかることもある。それを二、三借りてくると・・・(続く)

2006年7月23日 (日)

腐葉土

  「もうやっていられない、一緒には暮らせない!」「出て行く!」「喧嘩ばっかりしているなら別れて暮らせば!」・・・母が落ち込んで(父に対して)被害妄想的・暴力的になり、父、母、私が感情的になっている時に飛び交うことばだ。「(私たち家族・親子にとっての)在宅介護に必要なことを探る」というのがテーマだったはずなのに、5月、6月は早々とそのテーマを手放したい気分だった。二人は離れた方がいい、と何度も思い、しかし、嵐の後の小康状態にはやっぱり、二人で自宅、がいいんだなと思い直し・・・の繰り返し。
 今も父と母の生活は危うい空気をはらんでいるけれど、実態はなかなか複雑だ。よくよく見れば、事態は刻々と動き、マイナスだったことがプラスに働いているところもあるような、原因と結果がズルズルと繋がり簡単には言葉で表現できないような、糸が複雑に絡み合った状況に見える。たぶん私たちの日常生活もきっと同じことなのだろうが、普段はそんなところは見ないから見えないだけなのだろう。危機的状況に臨んでどうすべきなのかと必死に見たら、実感としてそう見えてきた。
 結局私たちに見えることわかることはほんの少しで、あとは膨大な未知の海。そのほんの少しを手がかりに手探りで試行錯誤するしかなく、ベストな介護なんてだれにもわからないのだろう。プラスのことも時間が経てばマイナスに働くこともあり、マイナスのことも時間が経てばプラスに働くこともあり、プラスの中にマイナスがあり、マイナスの中にプラスがあり・・・いろんなものが混ざりあい、積み重なって、影響しあって変化して、何かが忘れられ、何かが未知から生まれてくる。(そういう意味では、どうしようもない状況でも、よりどうしようもない方向も含めて道は未知の世界に向かって四方八方に開けているとも言える。) 母の言動はそんな中から湧き起こってくる。母の言動の背後はそんな感じだ。
 認知症の介護という窓から見ると、人と人の生きる様、人が生きている状況は、(ますます)「腐葉土みたい」に見えてくる。腐葉土の上にちょこっと個が顔を出しているのがひとりの人間。

2006年7月 2日 (日)

熟読しても

 5/11に書いてからだいぶ間が空いた。ブログのことを思い出す暇がなかった。自分の用事もいっぱいあったが、何と言っても母の具合が悪くて思い出す余力がなかった。ようやく小康状態になったが、一時期母はエアポケットに落ちっぱなしで、母の中で父は「悪い人」に固定され、暴言、暴力が父へ向かった。夜中父の助けを求める叫び声に駆けつけると、母は自分がそんなことをするはずがない、父が狂っていると妙に冷静に非難、父の方が精神的に混乱、体調も不良に。私も音や声に過剰に敏感になった。
 今まで介護家族から聞いた介護の大変さや、新聞記事となった介護をめぐる様々な事件が頭をよぎり、ああ、こういうことなんだなあ・・・と思う。この大変さは仕事の介護からは見えない。いくら私が父や母の気持ちを熟読しても、熟読できても、どうにも変えられない二人の気持ち。
 それでも父と母は隣に私たち家族がいて、社会的なサービスも使っていて、ずっと密室に二人だけ、の状態は避けられている。行き詰まった私もあちこちに助けを求め助けてもらった(うまい解決策がある訳ではないが、関わってもらうことで、嵐の時をやり過ごすことができる)。
 認知症の老老介護がどんなに大変か、今なら少しはわかる。情報が行き届かなくて孤立してしまう。自分たちがどんな状況にいるのか見えない。介護も子育ても大変な人は大変さを周りに分配して!と思うけれど、今の社会はそれがとてもできにくいのだろう。

2006年5月11日 (木)

熟読 close reading

 『翻訳夜話』(村上春樹・柴田元幸共著)の、村上春樹の「翻訳は絵画の世界での模写のようなもの」ということばに、介護も似ているなあと思ったことがある。息をひそめて原作者の息づかい、気分を読み取るのが翻訳。認知症の人に付き添っていたときだったので、介護もまた読み取ることだと思った。
 柴田元幸の「小説を訳す〜翻訳は何を伝えているか〜」をテレビで見た。その中でのジェイ・ルービンのことば:「音楽に例えると作曲者が小説の原作者。芥川(彼は芥川を英訳している)=ベートーベン、翻訳者=ピアニスト、の関係。解釈はピアニストによって様々、解釈の違いに優劣はない。翻訳とは解釈であり、作品に対する自分の解釈を伝えること。翻訳は常に”負け戦”・・・。翻訳とはひとつの熟読の方法だと思う」。翻訳を面倒だという研究者もいるが、自分は楽しくて仕方がない、と彼は言う。
 介護のことを言っているのかな、と思うくらいだ。被援助者が原作者、援助者が熟読・翻訳者(「熟読」が楽しいというのはわかる気がする)。他者の人生を 熟読することが基本。だから、援助者が操作的に勝手に何かを付け加えてはいけない。被援助者(原作者)が絶対(主体者)であり、そういう意味で介護は常に負け戦である。(もちろん、介護だから、介護であって翻訳ではないし、被援助者が間違うこともあるし、援助者は援助をするし、何かを付け加えるし、負け戦でないことはたくさんあるが。)

2006年5月 4日 (木)

外からの私と内からの私

 認知症のBさんは、金銭管理が怪しくなってきた。しまった場所を忘れてしまうか、忘れてしまいそうな不安に駆られて確認作業を繰り返す。それでも、「財政係」という役を手放そうとはしないので、家族からは厄介者扱いされている。
 ある時Bさんは「あなただから話すけど」と言って「・・・・・・だから、通帳を夫に渡したくない」と秘密を教えてくれた。「・・・」は、端から見れば隠しておくほどのことではないし、悪いことでもない。夫に「内緒」だっただけだ。だけど、これがBさん本人にとっては途方もなく大きい。
 私たちには貯金通帳のことを言われると怒り機嫌の悪くなるお金にこだわるBさんが見えるだけ。でもその時のBさんの内側には、Bさんと夫との関係(Bさんから見れば横暴で自分勝手な夫は、自分の願いを聞き入れてはくれないから、やりたいことは内緒でするしかない・・・というような関係)、そういう関係を支えている社会的、歴史的な男と女の関係、等々の要素がいっぱいつまっていることだろう。
 そういう意味で、「私」の言動は私が決めていると言える同時に、私にもわからない、数知れない多くの有形無形のもの、歴史の遥か彼方の何かからも規定されていると言える。それも含めて「私が決める」と言うのだろう。
 だから、援助者が見える範囲だけで判断すると、被援助者は「勝手に決めるな」と言いたくなる。

2006年4月27日 (木)

『家の鍵』メモ

 すごい景色だなあと画面に見とれていたら、映画『家の鍵』が終わった。それほどの映画好きではなく、今まで映画をおもしろいと思ったことがあまりなかった。たぶんストーリーしか追っていなかったからだと思う。『家の鍵』はストーリーだけでなく、(珍しく)私には映画が「作品」として見えてとてもおもしろかった。心に残り、映画館で見てよかったなと思う。障害を持った子と、その父親とのやりとり、それにもうひとり障害のある子の母親が織り重なって話が展開する。
 ・旅、鉄道、電車、ホテルの窓の外も電車が行き交う駅だ
 ・異国、ことばが通じない
 ・主な登場人物3人(前景と背景)
 ・こどもが迷子になる、ことばが通じない、電車に乗って行き止まりの車庫に、戻ってくる
 ・父親が子どもの杖を捨てる、(自分が杖に)
 ・ラストシーン(風景)

 ・もう一歩突っ込んでほしいところもあった。

2006年4月25日 (火)

 母の認知症について以前、うつ病と診断され薬物治療をしたことが、結果的に認知症に対してもプラスに働いたかなというようなことを書いた(気がする)。認知症の症状は進んだが、確かにうつ状態の暗いトンネルは抜け出た。
 だけど、薬を飲み始めて2年半、母自身の老化もあるし、薬のマイナス面の話も聞いてちょっと心配になる。「どんな薬だって副作用はある。老人なら特に」。それはそうだ。抗うつ薬はそろそろ減少させたい。
 アリセプトは飲み続けた方がいいと言われて、そういうものかと思っていたけれど、やめた方がいいという話も聞いた。?

2006年4月16日 (日)

訪問介護「できません」原則は

 介護家族の集まりでヘルパーとして何か発言をということから、訪問介護でできるものできないものの話になった。サービスの受け手ばかりの参加者で、コウモリ型の私の立場はどっちつかず。心に浮かんだまま未整理状態をしゃべったが、はて、伝わったかどうか・・・?  もう一度整理。
 問題になるのは「できないもの」なので、そっちから考えると、社会の限度を体現している介護保険制度、介護保険制度の一部を体現している事業所、事業所の基本姿勢を体現しているヘルパー、と連なり、ヘルパーが実際にサービスをする時、「これはできません」、とか、「事務所に問い合わせてみないと」、となる。利用者にはそれが不満だ。だが、「常識的に」考えて「限界」はあるし、実際には無理難題を言う利用者もいるから、ヘルパーを守るためにも制度側の「できません」原則(A)は必要なのだろう。
 でも、制度に基づいて働いているにしても制度のために働いているわけではない。何のために働いているか。利用者の「生きる」に資するためである(B)。だからBあってのA。Bに照らし合わせて制度側の「できません」原則は柔軟に考えられるべきだと思う。Bを忘れて機械的にAが強調される介護なんて・・・。そしてAとBのバランスはヘルパーと本人と家族の判断にゆだねられるべき、と言いたい。今はヘルパーにそんな裁量はないから、板挟みヘルパーの立場はとても苦しい。
 

2006年4月12日 (水)

「マイナスをゼロに」

 もし私が介護を受ける立場だったら介護者に対して、①私のことは私が決める、介護者は私のやり方に口を出すな、えらそうにするな、と思うときがあるだろう。だけど、②助けは必要、やさしさはうれしい、ひとりぼっちは不安、人とつながっていたい、時々は人といるのはいいな、ともきっと感じるだろう。仕事と家族の介護にかかわっていて、このあたりが介護の核かなあと思う。(前に書いた「自分の元型ーひとりになりたい、なのに、人と居たい」に連動している。)
 介護は元気なときにはいらない。もともとは自分一人でやっていたところに人がはいってくるのが、介護だ。この点はとても重要。介護は余分なものなのだ。被介護者にとって、介護者のやさしさや思いやりの介護や自立支援の介護は介護の一部で、本来は「なかったかのような介護」が、介護の理想ではないのか。
 その意味で、ブリコラージュ4月号「マイナスをゼロに」に納得。「マイナスをゼロに」は最首悟のことば、それを三好春樹が引用。介護を受ける私に介護者がプラスを上乗せしようとしたら、①の気持ちになりそう(うまくいく場合もあるだろうけれど)。

2006年3月28日 (火)

母のことば

 今日の母のことば:「ひとりだと昨日のこともよくわからなくて、自分が何だかよくわからなくなって、すごく不安。あそこ(デイ)に行けばすることが決まっているし、勝手なことはできないし、社会とつながっている感じ」
 先日の母のことば:「うちは不自由、(夫に)いつも見られている。あそこは自由」
 

2006年3月26日 (日)

非日常性と日常性

 三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』という本を楽しく読んだ。よくわからない所もあったが、おおすじでは、私がなぜ予想に反して(おおすじでは)老人介護を楽しめるのか、そしてなぜ臨床心理学に興味をもつのか、なぜ最終的に(人を支えるのは)やっぱり文学(芸術)だと思うのか、自分なりの納得が発見できたような気がして、楽しかった。
 いろいろ思う所はあるけれど、とりあえずのところを。「人間は、ふつう考えられているよりもはるかに異様で奇怪な世界を生きている」と作者は言う。なるほど、そう言ってしまうと気が楽だ。そうだとしたら、普通に日々の生活していると、人間はそこからはみ出してしまう。異様さと奇怪さの分が日々の生活におさまらない。特に近代の、不合理不可解怪しげなものを排除した合理的、効率的・・・生活にはおさまらない。それでも普通おとなは、はみ出したもやもやを抱えつつも何とかそれをおさめて生きている。生きるためには食べなきゃならないし、食べるためには働かなくてはならないし、はみ出したもやもやにかかわり合うのは小説を読むときぐらいだ。だから「それ(はみ出したもやもや)が小説―村上春樹の世界であり、柴田元幸の世界である」と作者は言っている(と思う)。
 でもそこ(はみ出しを押さえ込みながらの日常)から外れていくと、はみ出し部分に足を取られていく。この辺はいろいろ言えるだろうが、認知症の介護に引きつけて言えば、押さえ込んでいる日常の生活がままならなくなり、はみ出し部分に足をとられもつれていくのが、認知症を抱えた人の生活で、はみ出し部分(非日常性)に縛ったり、閉じ込めたり非日常的な対応をしていたのが少し前までの痴呆ケア、今はようやく、日常性(普通の生活)に踏みとどまることによって、はみ出し部分に足を取られすぎないようにするケアまで辿り着いたところだろう。少なくとも考え方としては。
  人は異様で奇怪な世界を抱えながら、日常を生きる。異様で奇怪な世界に目配りをしつつ日常性を大事にするのが、認知症の介護。でも、その構造はたぶん子育ても同じだ。
 今はストッパーとしての日常がどんどん崩れているから、異様で奇怪な世界は顔を出し易い。異様で奇怪な世界をほどほどに押さえ込めるその日常を形作るには、多くの場合他者(との関係)が必要なんだろうと思う。認知症の介護においては、だからデイサービス、だからグループホーム、となる。私は、認知症、デイサービス、グループホームに限らず介護全般をこういう文脈でとらえたいが、そうすると社会一般の「介護」とずれてしまうことも多い。
 

2006年3月18日 (土)

介護 is ・・・

 仕事としての介護を何年かやってみると、最初の予想とは大きく、大きく違って、介護には様々な要素が詰まっていた。(実際にやってみるまでの)私と同じように介護に見当違いの思いを抱いている人が多いから、介護の社会的評価も見当違いなのだろう。以下、実感した様々な要素。
介護は翻訳。翻訳は介護の中の一要素であってイコールというわけではないから、介護には「介護は翻訳」と言える部分がある、というのが正確なところ。同じような意味で、
介護は文学、
介護は芸術、
介護は社会学、
介護は文化人類学、
介護は哲学、
介護は臨床心理学。
もっといろんな分野を知っていたら、もっといろいろ言えるだろう。
 

2006年3月12日 (日)

介護の仕事の値段

 7人の犠牲者を出した長崎のグループホームの火災関連のテレビ番組を何日か前に見た。認知症高齢者GHの防災(のむずかしさ)についてあれこれ論じられていたが、関連して介護職の給料の話も出た。
 スプリンクラーを設置すると580万円、それは4人のケアワーカーの年間の給料に匹敵(えー?)・・・、今まで宿直でなく夜勤を置くとGHに介護報酬の夜勤加算がひと月19万円、それが夜勤を義務化してひと月夜勤加算10万円になる・・・、ひとりで9人をケアする夜勤・・・、そんな話を聞いて、そしてよく聞かれる、訪問看護だと高いから(同じようなことを)ヘルパーに・・・、理学療法士だと高いから(同じようなことを)ヘルパーに・・・、そんなことばも思い出して、その他あれもこれも思い出して、(社会的には)介護職って被介護者とともに見捨てられているなあと、いまさら言っても仕方がないが、思う。
 要介護高齢者が増える一方、家族は介護しきれない(あるいは介護しない)から「仕事としての介護」の需要はどんどん増殖している。でも、介護にかけられるお金は少しだ(と言われる)。人件費を抑えて安あがりに(するしか方法がない)。「介護が何なのか」の話は置き去りにして、介護職の犠牲の上に高齢社会は進む。
 介護とは何かを考えていくと、介護の仕事にはたぶんうまく値段がつけられないだろうと思う。だけど、それにしても今は、介護職の精神的肉体的負担に対しての評価が低すぎる!

2006年3月 9日 (木)

介護者の「できなくてもいい自分」

 人は「できる自分」像から完全には自由になれないだろうが、介護者も、「できる自分」にあまりこだわらず「できなくてもいい自分」度が高い方が、相手の不可解不合理非論理的言動への反射的な許容度が高く、認知症の介護はうまくいく(と思う)。そうやってうまく家族を介護している友人や仕事として介護をしている友人の話を聞くと、私はまだまだというか、手遅れというか・・・。
 三好春樹の本のどれかに、「(介護には)自分をこわす快感 ・・」というようなことが書いてあった気がする。快感かどうかわからないけれど、自分と他者の関係がいくらでも違って見えてくるのは確かだ。「そこが介護のおもしろさ」(やっぱり快感か)と、仕事としての介護に関しては言える。家族の介護に関しては保留だけど。

2006年3月 1日 (水)

「できなくてもいい自分」

  Aさんは、一人暮らし、入院、家族と同居、ショートステイの連続、を経て特養に入居した。アルツハイマー型認知症、要介護4。入居する前の少しの間おつき合いをした。よく「私、変でしょ」と言う。家族は「変だよ」と言い、私は「変じゃないですよ」と言う(どっちがいいのかよくわからないけれど)。
 知り合った最初のころは(それでも)少しはガードが固かった。私もそういうものだと思って接していたし。慣れてきて、(そしてその他様々な要素が変化して) Aさんの「自分」は柔らかくなって、だれでも出入り自由になった。他者に対して身構えない。 Aさん自身状況に応じて(自分が不安にならないよう)変化する。「できる自分」にこだわらない。自分にできることをする。
 一緒に散歩に出る。外を歩いているうちに、散歩していることや一緒に歩いている私との関係があやふやになる。私は道で出会った誰かだ。「確か私のうちはその辺、ちょっとお寄りになりませんか」と誘ってくれる。家に戻れば、勝手に鍵を開ける私は友人か親類かになる。
 その調子で、入院もショートステイも混乱せずに(たぶん)笑い声とともに過ぎた。

2006年2月27日 (月)

「できる自分」

  母の友人、父の友人、二人の友人が母のことを心配して声をかけてくれたり、誘ってくれたりする。母はそれになんとか応えようとして、でも、今は自分の身を処しきれず(状況を理解しきれず)、精神のバランスを崩して暴発する(父を追いつめる)。というのが、どうも最近のエアポケットへの落ち込みパターンのようだ。
 母にとっては「できない自分」、「わからない自分」は許せない。どこまでも「できる自分」であること。「できる自分」として人と接しなければ・・・。これは本当に強固である。
 (でも、これは母だけの問題ではない。多くの人にとって、多くの場合、これは本当に強固。「できる自分」を感じたいし、「できる自分」になりたい。「できる自分」は喜び。)
 要介護状態というのは、「できる自分」に傷がつくことだ。介護関係は、「できる自分(できない自分)」をめぐって展開する。援助する側も自分と相手の「できる自分」をめぐって微妙な位置に立たされる。される側は日々「できる自分(できない自分)」との闘いだ。

2006年2月25日 (土)

エアポケット/消火器

 今日母はデイを休んだ。昨日の夕方からめまいがすると言い体調が変だった。今朝もめまいがすると言っていた。
 昼間は私は別行動。夕方様子を見に行くと、結局行かなかった、そして大荒れ、と父の訴え。
 2〜3週間に1度ぐらいの割合で、隣の老夫婦はエアポケットに落ち込み危機に見舞われる。母にとって何か処理しきれない「気になること」があると、それがストレスとなって母にのしかかり、母はそれを父への攻撃に変える。最近は強固な「作話」もできあがる。そうなると父は父で追いつめられ、余裕がなくなり、感情的になり、「殺される」とまで言う。
 だいたいは私は事後に立ち会うことになり、修羅場の頂点をそうは知らない。事後処理係は、父に「感情的になるな、ことばに直対応するな」と言い、母には「オジイチャン、そんなに悪い人じゃないよ、被害妄想なんだよ」と言ってみるが、むなしい。だいたい母はそういう時何にも覚えていない。むなしいやりとりのあと母は「生きていたくない・・・」という切り札をもち出す。
 嵐が通り過ぎるのを待つより仕方がないか・・・。この先この二人はどうなっていくんだろう?と不安がよぎる。「共同性だの、「自分の元型」云々も何も役に立たない、という気分になる。
 でも、家族の感情の渦から離れて冷静に見れば、娘が父と母の間に入って役に立たないことをあれこれ言うのは、感情の衝突の火花に結果として水をかけることになり、とても大事なことと言えるのだろう。できれば親のための消火器なんかになりたくないけれど。

2006年2月24日 (金)

過食と不安

  母と父のところに行くと、いつものように母の過食が話題になる。父はどうしても私に(少しは)言わずにはいられないようだ。母は不機嫌そうな顔をするか、笑って茶化してかわすか、自分のこととは気が付かないか・・・。先日は「食べてないと不安・・・、不安だから食べる・・・」というようなことを母は言った。
  食べる・・・拡散する自分をつなぎとめるもの、かつ、つなぎとめるものから自分を解放するもの
 働いて(遊んで)、お腹がすいて、食事を作って(作ってもらって)、親しい人とワイワイ食べて、気持ちよくお腹いっぱいになる・・・ナリタイナ。トシヲトルノハタイヘンダ。

2006年2月16日 (木)

過食ぎみ

  今の母は家にいるとどんどん食べてしまう。はじめはお菓子類が多かったけれど、今はおかず類もとっておくとなくなってしまう。一緒に暮らしている者(父)は、食事にと予定しておいたものがなくなるとか、お腹をこわさないんだろうかとか、ストレスをため込むことになる。
  医者は「食欲を抑える薬もありますが・・」と言った。この場合は(もちろん)薬はやめておく。「じゃあ、ストックを置かないようにすることで・・」と医者も薬を勧めなかった。
  食べ物のストックなしで暮らすのは実際はむずかしい。特に要介護老夫婦世帯では。しかも、母は長年主婦をやり、家を管理するのが日常だったから、何にも食べ物のない家なんてそれだけで精神のバランスを崩していまいそう。結局、そこそこの線で折り合いを付け、母は食べ続けることになる。そして父のストレスは続き、私はその愚痴(報告?)を聞くことになる。
  その報告。デイサービスから帰ってきてすぐに冷蔵庫に行き何か探して食べる。それから夜中に何か食べる。そうすると機嫌がいい。
  うーん、そうか、オバアチャン、自分の好きなようにしたいんだね。デイサービスで機嫌良く頑張って・・、でも、やっぱりしっかり管理されている、観察されている。家に帰ってきたら、まずほっとしたい、自分の好きなようにしたい。だから食べる。だけど、家は今や夫の管理下にあり腹が立つことばかり。「夜中」はささやかな自分の時間だ(娘ものぞきに来ない)。だから食べる。
  母の過食は、ひとりになりたい、好きにしたい、見張るな、管理するな、の意味(か)。「食べる」のは、残された数少ない、「自分を満足させられる自分からできること」。

2006年2月12日 (日)

「自分」の元型

  仕事(勉強)で忙しいとき、家族ために何かをしなくてはならないとき、自分の「自分」はギュッと凝縮してしっかり輪郭をもつ。でも、本当はもっと違うことがしたい、好きに時間を使いたい、自由になりたい、窮屈だ、ともうひとつの自分が思う。しなければならないことが終わったとき、さあ、自由だ、邪魔ものはいないぞ、というとき、「自分」の輪郭はちょっとあやふやになり、拡散し、時にもうひとつの自分が「自分」をもてあます。人と一緒にいるとき、ひとりのときにもこの凝縮、拡散が起こる。ひとりになりたい、なのに、人といたい。何かでありたい、何かにつながっていたい、なのに、解放されたい。
  これが(現代人の)「自分」というものの元型のような気がする。元型であって、実際は人によって感じ方の度合いがすごく違うだろうけど。
 

2006年2月 9日 (木)

デイが休みの日

  デイサービスが休みの日、母の自己確認作業は、食べる、寝る、自分の夫にからむ(時に攻撃)の3点セット。前はコンピュータゲームに逃げ込んだ。依存症のように。今はほとんどしなくなった。が、たまにすると、母の体のどこかのリズムが大幅に狂って、座っているだけの何もできない人間になり(ひどいときはごはんの食べ方も服の着方もわからなくなった)、「(数字?が)合わない」などと言い、まるで頭の中をゲームに占領されたようで、回復に2、3日かかる。
  2、3日前のデイの休みの日に、何もすることがないと言ってコンピュータゲームをしたようだ。やり方を忘れてしまって父に教えてと迫ったとか。そして体調が変になってしまった。そろそろ回復する頃とは思うが。
  

2006年2月 7日 (火)

あやふやな自分を抱えて

  〈自分というものが厄介〉なのは、人は強固な確信に満ちた自分が欲しいのに、現代は情報の洪水とスピードを増す変化の中で、「あやふやな自分」を抱えてうろうろせざるを得ないから(、か)。
  そういう視点から見ると、認知症は「あやふやな自分」に拍車がかかる病である。自分のいる場所も時間もあやふや、昨日のことも明日のこともあやふや、ものや人との関係もあやふや。自分に焦点が結ばない。引きこもりや徘徊、こだわりや攻撃は「あやふやな自分」に対する自衛、補強、修繕策(だろう)。(いい)ケアは「あやふやな自分」を少しでも「居心地のいい自分」に変えるもの。
  認知症の人には特別のケアが必要だけれど、私たちだって「自分というもの」と日々格闘する。介護の仕事で「ありがとう」と言われて「人の役に立つ自分像」を再確認させてもらって、「あやふやな自分」の手入れをする。

2006年2月 5日 (日)

ついでに漱石

  自分の「自分」がいつも人に侵害されていたら怒りたくなる。自己防衛は必要で大事。漱石だってしっかり己を防衛する。(『私の個人主義』だったと思うが)自己本位によって生きるしかない、と言っている。が、その「自己」が問題だ。これが私の「自己」ですと言える人はいいけど、自分で自分がつかめなかったらむなしくて不安。よって立つべき「自己」の中身があやふや、からっぽ(のような気がする)・・・日々狩りをして必死に食べものを手に入れなくても生きていかれる現代社会では、こっち(あやふや、空洞)の感覚がリアルだろう。漱石は100年前にそれも言っていた。
  『行人』の一郎は(あやふやな自己を抱えて)「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか、僕の前途にはこの三つのものしかない」と言う。あやふやな自己を抱えて簡単にはそのどれをもとらないとしたら・・・(と漱石のことを言い出すとどんどん長くなるので漱石はここで打ち切りに)。
  「あやふやな自己を抱えて」迷走せざるをえないのは、老いも若きも同じに見える。

2006年2月 3日 (金)

やっぱり漱石

  「自分」は厄介者、というとやっぱり漱石を思い出す(息子には「ずーっと漱石」と言ってバカにされるが)。〈「自分」というものはやっかいなものだ〉と何となく感じていた若いころ、ちゃんとことばで「〈自分というものは厄介者〉である」と言ってくれた最初の人だから、思い入れが深い。それに人は悩みの種が解決しないでも、同じ悩みの種を抱えている人がいることを知っただけでかなり救われる。
  「昔の人は己を忘れろと教えたものだ。今の人は己を忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中太平のときはない。いつでも焦熱地獄だ」(『我が輩は猫である』)。己がはち切れんばかりに膨らんだ世の中は苦しいから、自殺学が発達し、夫婦別居説が案出され・・・と100年前の小説は未来を予測する。
  隣では、認知症になって自信をなくし防衛のためにこだわりを先鋭化した母の己と、妻は夫に従って当たり前の戦前の男女観を身につけたまま近代的個人として「りっぱに」仕事をしてきた父の己が、たびたび衝突して焦熱地獄と化す。逃げ腰の父が私を火消し役に呼ぶ。当事者は焦熱地獄と夫婦別居とどっちがいいのだろう(たぶんどっちもいやだろう)。半歩譲って自分の己にちょっとだけ相手を受け入れる余地を作るのは、端から見ればそんなにむずかしいことには思えない。そんなにがんばって防衛的になるなと言いたい。でも実際は、私も含め多くの人が己の防衛に一生懸命。

2006年1月31日 (火)

こだわり

  今までは両親とは隣に住んでいながら別々に暮らしていた。最近は必要に迫られて隣に家事をしに行く。それで母が自分のやり方にこだわる人だということに気が付いた。それはそばに人がいると顕われてくる(当たり前だけど)。そばにいるのが父だったら、母の自分のやり方へのこだわりは先鋭化し、父に攻撃が向かう。私だと、闘いにはならないが、(洗濯物の干し方など)自分のやり方を主張するか、自分のやり方をやり通す。
  「じぶんのなかにじぶんである基準や根拠が見いだせないとき、・・・・ひとはとりあえずどうするか。・・・・自分の行動に無理やりにでも一つの明確な規則を与え、そのことでじぶんの存在にもはっきりした輪郭を与えようとするのだろう」、そして「なんとなくじぶんが拡散しているような感じのとき」にそう言う行動をする(鷲田清一『じぶん・・・この不思議な存在』)というふうに見れば、母の過度のこだわりは納得がいく。できるだけ「じぶん」をしっかり感じられるように支援する、こだわりを尊重するのが正しい支援の仕方だろう。
  だけど父にはそう見えないようだ。以前の父には考えられないくらい父の「じぶん」は譲歩している。「がまんする」というかたちで。でも「がまんしているじぶん」はますます巨大な「じぶん」にも見える。本当に「じぶん」はやっかいものだ。
  
  

2006年1月25日 (水)

ひとくちに認知症と言っても

  教育テレビ福祉ネットワークで3日間認知症についてやっている。今日はピック病について。私が知っている認知症とはずいぶん様相が違っていた。私が今まで書いた「認知症」ということばは、アルツハイマー型認知症及びそれに似た感じのもの、とでも限定しなくてはいけないなあという気がした。でもいちいち「アルツハイマー型認知症及びそれに似た感じのもの」とも言っていられないから、何をさしているかあいまいなまま「認知症」を使い続けると思うけれど。
  ピック病専門のグループホーム。そこでは病院等で使われていた向精神薬を徐々にやめて、激しい症状を示す患者の行動を制限しない、それに付き合うというケアの方法をとる。あるひとりの女性の激しい症状と、グループホーム入居後しばらくしてからの穏やかな表情を映し出していた。

2006年1月23日 (月)

共同決定

  三好春樹の本(どの本だったか今日は見つけられず)に、高齢者介護の現場は「自己決定」ではなくて「(介護者との)共同決定」だ、というような記述があった。母の場合、共同決定ならまだまだいろんなことができる。自己決定なら多くのことができない。
  だからデイのない日は、父と母はあまり行動をともにしない夫婦なので、母はほとんど横になっていることになる。デイとヘルパーは、母の共同決定のための貴重な「共同」供給源である(もちろん父だって多少おもむきの異なる「共同」供給源ではあるが)。
  ところで、今日の教育テレビ福祉ネットワーク、「認知症高齢者の下宿」は、個室を作ったのに、個室は寂しいと壁を取り払って大部屋にして、ベッドを並べて寝ているところを映し出していた。介護保険制度に縛られない制度外の「下宿」が醸し出す管理されない自由な雰囲気(勝手気ままな個)と、大部屋のベッド(人の気配、つながり)の妙が興味深かった。

2006年1月22日 (日)

関係によって作られる

  大量処遇、画一的処遇、ベッドが4つ並んだ4人部屋の老人ホーム・・・の流れの中にある「同じ時間に食事、同じ時間に就寝」を土台にすれば、(それを批判して)個が大事、自立が大事、自己決定が大事と言える。言わなければならない。権利主体としての個を尊重せよ、ということだ。
  一方、個が大事、自立が大事、自己決定が大事という文脈に対しては、人間は関係の中で生きているんだよ、関係によって作られる、場の生成物なんだよ、と言いたくなってしまう。前者についても後者についてもいろんな人がそう言っている。(もっともこの二つはことばでうまく言いきれないところがあるが。)
  「関係」が煩わしく「私(個)が大事」とずっと思ってきた私にとっては、どちらかというと、「私(個)」は「関係によって作られる」という言い方の方が新鮮。そして介護の場では、とくに認知症の人との場では、「人(個)は関係よって作られる」という思いを強くする。人はみんな関係によって作られる、健康な人とだとそれが見えにくいだけ。

2006年1月18日 (水)

一緒ならわかることもたくさん

  「共同生活体の中で同じ生活リズムで皆が暮らしているということは、とても重要である。こういうことを言えばある種の批評家たちは、特別養護老人ホームで皆が同じ時間に食事に行く、皆が同じ時間に寝るということは、個々の利用者の自立性を尊重しない処遇でけしからんと、杓子定規に問題視しているが、用心してかかる必要がある」と、『介護基礎学』(竹内孝仁)にある。
  文脈は、在宅介護の場合、家族の生活リズムと合う形で利用者のADLが自立している(ADLの自立を目指す)ことが必要で、「同じ時間を共有しあうこと、同じ場にともに暮らしあうこと」が家族の共同体を維持している源だ、というもの。
  ずるい言い方になるが、どっちも必要。「個々の利用者の自立性を尊重した処遇」も、「皆が同じ時間に食事に行く、皆が同じ時間に寝る」ということも。個とか自立が言われる社会福祉の今の流れを考えると、認知症の人には「同じ時間を共有しあうこと、同じ場にともに暮らしあうこと」が大事、と強調したくなる。と言ったそばから、認知症の人こそ一人ひとりの思いが大事とも言いたくなる。一緒ならわかることもたくさん。一緒ではわからないこともたくさん。

2006年1月17日 (火)

ひとりの食事

 個が大事、でもある種の共同性も大事。食事の風景はたぶん「ある種の共同性も大事」をよく示しているだろう。デイに行けば母の胃袋は底なし沼みたいにはならない。
 別に認知症の人だけの問題ではない。子どもとか、若者とか、ひとりの食事はちょっと危うい。過食症の話を思い出す。
 鷲田清一『普通をだれも教えてくれない』の「コンビニという文化」の文の中、「学生時代に軽い過食症にはまったときの話を、最近ある女性から聞いた。東京に出て独り暮らしをするようになって、知らないあいだにひどくダメージを受けていたのが身体。とくに食べること。外で買ってきて二分ですまそうと思えばすませるし、だらだらいつまでも食べつづけていることもある。そのうち、食事というものがいつ始まり、いつ終わるかがはっきりしなくなる。満ちたりたという感覚がないので、ついに物理的な膨満感がくるまで、つまり食べられなくなるまで食べることになる。(中略)食欲というものからリアリティが薄れてゆく。だから加減がわからなくなる。生きることということの核にあるはずのもの、そのたががなんか外れてしまったみたい、というのだ」とある。
(・・・・ちょっと待て。それはひとりだからか、それともコンビニ食だからか・・・)

2006年1月 5日 (木)

共同性って?

 前に「共同性」ということばを使った時、「共同性」って何だ?と息子に言われた。えーと、何だろう? 私が勝手に使っていることばなんだろうか・・・うまく言い換えられなかった。ひとりではないこと、バラバラの個ではないこと、誰かと一緒にいることによって生まれる何か、「関係」でいいのかな?
 共同性もうまく説明がつかないが、「ある種の共同性」の「ある種」も問題。共同性みたいなものがあるとして、そんなものは「邪魔もの」として捨てようとしてきたもの。個が大事、個が大事で歴史(の主流)、とくに社会福祉の歴史(の主流)は進んできた(ことばで説明されるものはそうだった)。・・・共同性は変幻自在。

2006年1月 4日 (水)

ある種の共同性

 母の朝食時、立ったままバナナを食べようとした母に「ちゃんと座って、朝ご飯だ、って自分に言い聞かせて食べないと、食べたかどうかわからなくなるよ」と言った。母「一人暮らしの人は大変ね。きっとわからなくなってどんどん食べてしまう(今の母がそうだ、ひとりでなく夫と暮らしているけれど)」、続けて「家族って大事ねぇ」と言う。(そう、だからおじいちゃんと喧嘩しないでね、と私の心の中。)
 年末にデイや『介護基礎学』について書こうとした時、書きたかったのは「認知症の人には(本当はだれにでも)ある種の共同性が必要」ということだった。家族も大事、(家族の規模が小さくなった今は)家族以外の人も大事。デイには「ある種の共同性」がある、それが「何よりの薬」と書くつもりが、話は「本当の薬」の方へ行ってしまった。

2006年1月 3日 (火)

うつ病と認知症⑶

 ゆううつな気分というのはだれでも経験することがあるので、うつ病は正常な心理的反応としてとらえられてしまいやすい。また誘因やストレスとみられることがらがあれば、そちらに関心が向けられてしまいがち。その結果、十分な治療、とくに薬物治療が行われずに終わってしまう。と精神医学の教科書(放送大学大学院教材)にある。
 認知症からうつ病の部分を引きはがして薬物治療をすることは、けっこう大事なことかもしれない。同時に認知症についてもきちんと情報が欲しい。その辺を「連携する」のはむずかしいことなんだろうか。

2005年12月31日 (土)

うつと認知症

 母の場合は薬と薬以外の療法がうまくかみ合った例かも、と自分で書いてあることに気がついた。
 母は最初精神科を受診して「うつ病」と診断され、「抗うつ薬」をもらった。痴呆の診断もするということだったが、若い患者が多く、痴呆に関しては心もとなく、私は選択を誤ったと思っていた。後に私だけ痴呆の専門医(神経内科だった)に相談に行くのだが、最初からこっちにすればよかったと思った。でも、そうとも言いきれないわけだ、ということに気がついた。神経内科だったら、「抗うつ薬」が出なかったかもしれない。うつ病の治療にポイントが置かれなかったかもしれない。
 痴呆(認知症)症状は、枯れ葉が風に吹かれて吹きだまりにたまり積もるように、様々な要素の吹きだまり(ことばが悪ければ「吹き寄せ」)のように思える。症状改善に何が功を奏し、何がダメージを与えるか、見極めるのはこんがらかった糸を解きほぐすようだ。やってみないとわからないこともたくさん。
 

薬と薬以外

 前にも書いたが、どうも教科書や専門知識や専門家にあまり信頼をおいてこなかった。教科書的(公式的)とか専門バカとかといったイメージの方が強かった。でも現実がせっぱ詰ってくると、教科書的知識はけっこう役に立つ。なるほどなあと自分を納得させるために使わせてもらっている。
  そこで臨床心理学の中の精神医学の教科書、精神科治療では精神療法と並んで薬物療法は重要、とある。車の両輪ということ。「(デイが)何よりの薬」という母との会話から、実際の薬ことをちょっと思った。母の場合、家族は母の言動に振り回されて日々大変な思いをしているが、客観的に見れば、実際の薬(抗うつ薬)と薬でない療法(デイ)がうまくかみあった例ではないだろうか。
 うつが治れば痴呆も治る(治ることもあると教科書等に書いてある)とちょっと期待したけれど、それはどうも無理そう。でもたぶん、様々な条件に恵まれて、介護の状態はそんなに悪くはないのだろうと思う。

2005年12月28日 (水)

何よりの薬

  竹内孝仁著『介護基礎学』を久しぶりに引っ張り出してみた。「寝たきりを起こせ、起きたらデイへ」と書かれていると思っていた。確かにそのような文脈だが、説明のいくつかは忘れてしまっていた。
 まずデイへの道筋。閉じこもり症候群が廃用性症候群を招き、それが寝たきりと痴呆を招く。だから、寝たきりと痴呆を防ぐには、座位→離床→屋外生活、生活範囲の広がり、人と顔を合わせる場、すなわちデイサービスへ。集団的交流がある場では意欲が復活して動作が出てくるから、とある。
 二者関係と閉じこもりと集団的交流と意欲、母がたどった道だ。もう少し詳しくたどると、夫との二者関係、うつ状態、認知症初期状態、閉じこもり、の同時進行→うつ状態の改善、認知症の進行、集団的交流の場への参加、意欲の改善。いろんなことが団子状態で進む。
 母「あそこ(デイ)は私の今のからだの状態に合っているみたい」、私「何よりの薬ね」、母「そうよね」というのが昨日デイから帰ってきての会話。

2005年12月27日 (火)

デイの見え方いろいろ

 昨日「デイサービス」と書いて、ズルズルと芋づる式にいろんなデイサービス関連のことを思い出した。とりあえずのメモ。
 老いと介護について今よりずっと初心者だった頃。竹内孝仁「寝たきりを起こせ、起きたらデイへ」。前半は賛成するけど、後半は確信もてないなあ、と思っていた。
  今。母はデイに最初抵抗を示し、その後は皆勤賞。その母のことば。①「あそこはいいわ。競争がないものね」、②自分がデイで作った紙製クリスマスツリーを指差しながら「幼稚園ね」。
 その他。谷川俊太郎「街なかに田舎を」(グループホームのことだったけれど)。自分の文「現代にもうひとつの時間を」(グループホームのことだったけれど)。
 母のとった態度とことばが意味深長、示唆的。デイの見え方いろいろ。

全然関係ないけれど昨日のTV番組「ハートで感じる英文法」、おもしろかった。関係、あるかな。
 

2005年12月26日 (月)

教科書は正しい

昨日(12/25)は母と歩いて15分ほどの所に、まだクリスマスかなと思いつつもお正月用の花を買いに行った。去年も行った。今年は母は道を間違えた。間違えたというより「花屋に行く」というのをしばし忘れて歩いている。母は何を買ったらいいか自分ではなかなか決められない。私が小さな葉牡丹をいくつか選ぶと、高さがそろっていないとかいろいろ言える。帰り道、「まだ夕ご飯のことを決めていない、この辺で買えるかしら」と言う(だいぶ前からそんなことをしていないのに)。返事に困って曖昧なことを言っているうちにその話は立ち消えた。
ずっと前介護の教科書には「痴呆の人は病識がない」とあった。そんなことはない、自分が何だか変だと知っているのに、と思った。ヘルパーの講習では、「声かけ」が大事と言われた。見守りも。声かけ、見守りなんて子どもっぽい、と思っていた。あー、今ならわかる。大事で必要なんだ、声かけも見守りも。認知症の人は時々の病感はあっても病識はもてないんだということも。デイサービスがどんな意味を持っているかもようやく納得。

2005年12月25日 (日)

時間

今日ラジオ(家族心理学)で聞いた話。不登校の背景のひとつに「時間意識」の問題があるとか。現代の時間意識は学校も働く社会(親世代)も分刻み、秒刻み。それが家庭の朝にももちこまれ、朝は緊張、焦り、不安の時間帯。不登校のきっかけに。それに比べ夜、夜中は個人に時間の管理が任される時間帯。昼夜逆転、なーるほど。年寄りの時間と子どもの時間、そして認知症の人の時間(意識)、何だかつながっている。

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